洗脳教育の結果です

日本のバカな専門家が、口を揃えて「韓国の若者には、反日感情は強くない」と言いますが『絶っ対!嘘です!』。捏造された反日教育を受けている南朝鮮の若者は、反日感情が強まっています。
シンシアリーさんのブログから引用です。
http://sincereleeblog.com/2019/03/11/%e7%b5%b6%e5%af%be%e3%81%aa%e3%82%8b%e7%b5%90%e8%ab%96/

▽以下引用▽
絶対なる結論

(前略)
「恥韓論」からの読者の方々ならご存知でしょうけど、この日は私の「反日とは何か」な考えに大きな影響を及ぼした日でもあります。「相手を憎め」という教育がどれだけ人をダメにするのか。いまでも、考えるだけで背筋が凍る気持ちです。

今日は、韓国経済の青少年記者(本物の記者ではありません)、女子高生(高校3年生)の書いた短い記事を1つ紹介します。

(ここから「続きを読む」の後になります)

記事は、「交流学生制度」で日本に行って、日本で感じたことを書いたものです。

学生さんは、「私たちは歴史問題で日本に悪い感情を持っている」「日本に行く前には、私も大勢の他の人たちと同じく、放射能が心配で、日本人が韓国人をバカにするだろうと思った」としながら、それは勘違いだったと、日本人はずっと親切で、日本は生活規範のしっかりした国だったと書いています。

https://news.v.daum.net/v/20190311090207396

ですが、妙なことがあります。起承転結をちょっと見てみます。

この記事の場合、「起」が「私は他の人たちと同じく日本に悪い感情を持っていた」で、「承」か「転」あたりが「しかし、それは誤解だった」になって、そこから日本で感じたこと、経験したことなどをいくつか書いて、「結」論に向かうのが一般的だと思われます。実際、「日本の学校は全員が制服をちゃんと着ていた」など、面白いこともいくつか書いてあります。

ですが、実際の構成は、こうなっています。

起「私は~持っていた」、承「誤解だった」、転「学ぶところがいっぱいあった」、結「学ぶところがいっぱいあったけど、日本は過去史を韓国に丁重に謝ってほしい」。

自分の目で見てよかったことを、素直に褒められない。まるで「日東壮遊歌」を読んでいるようです。

なぜこうなるのでしょうか。それは、反日は結論そのもの。起承転がどうであれ、結は決まっているからです。

反日は決して過去のものではない」ということ。

反日は過去の解決を求めるものではなく、過去を永遠に解決できないものにして、現在と未来に持ち込むためのものである」ということ。

そのために「反日は、過程(歴史)から生まれた結果ではなく、予め設定した結果から生まれた過程である」こと。

反日は『~なのかどうか』を許さず、『~でなければならない』だけで構成されている」こと。

反日は、宗教国家の国教みたいに、人々の判断力を圧倒的に支配しているということ。大きなニュースになる政治・外交だけでなく、子供から大人まで、大小様々な事案、生活そのものの中で息づいていること。

短くて読みやすい文章でできたこの記事もまた、その呪縛から逃れることはできなかったのでしょう。

70年代から、韓国は「併合時代の文献、資料を検証してはいけない」とする動きがありました。その動きの究極的な目標は、資料や文献を完全に無くすものではありません。「もし誰かが資料や文献を検証しても、予め設定しておいた結果(反日)を疑わなくなること」でありましょう。

数十年の努力(?)の結果、韓国社会はその究極の目標にたどり着けた、と見ていいのかもしれません。自分の目で見て「あ、誤解していたのか」と気づいた人でも、反日の根幹だけは決して揺るがない、そんな人たちが量産されていますから。

(以下はコメント欄から抜粋です。)
迦・・
2019年3月12日
起承転結は、文学。歴史認識は。社会科学。

七・・
2019年3月12日
わたしは日本の子どもたちに、韓国を憎めと教育するのが最善だと思うのです。

近隣諸国条項なんて馬鹿が、それを封じて、日本は中国韓国と仲よくしなければならない。韓国人のテロや残虐行為は教えてはならないとして。
一方で中国韓国は日本の悪事ばかりを教えている。

これでは議論にすら勝てない。日本の学生が毎回一方的に土下座させられるだけ。

シンシアリーさんが良いという、日本の子どもたちに汚いものに触れさせない教育が、これまた日本が下の関係を作っている訳ですよ。

韓国人が、いかに悪いことをしてきたか、韓国人がいかに悪い人々なのか、日本人はきちんと学校で教えるべきなのです。

受験・・
2019年3月12日
>わたしは日本の子どもたちに、韓国を憎めと教育するのが最善だと思うのです。

これは反対する。
「韓国が日本人を憎め、と教育して」今がある。
それが、逆の立場で起こりうるからだ。

事実を事実として、必要なことを教える、は賛成。すなわち「近隣諸国条項の廃止」は賛成。
だが、「憎め」と教えることは反対。

ミソクソ一緒の議論だ。

みか・・
2019年3月12日
だから日本を韓国化してどうするのかと・・・
韓国が抱える病状をそのまま日本に持ち込んでしまうし、
憎しみを教育に入れると、ろくなことにならないよ。

最近・・
2019年3月11日
「相手を憎め」という教育がどれだけ人をダメにするのか。
というより、最初から韓国人は駄目だったと思います。
駄目な人たちだからこそ良心の呵責もなく憎めるのです。
普通の感覚なら自然とブレーキが掛かって、そこまで憎まなくてもいいじゃないかと収まりますが、韓国人は本当執念深い。
結局自分に自信が持てないんでしょう。
日本に限らず他国を蔑むのは優越感に浸って自分を慰めているとしか思えません。
大韓民国に自信が持てるなら、他国を蔑む必要ないでしょ。
泳ぎ続けるマグロのように、生きるために他者を蔑み続ける韓国人。
努力もせず向上心をもたず他人を蹴落とすことしか考えない、そういう人たちは駄目な人たちと思います。

ひむ・・
2019年3月11日
これ、「結」が決まってることよりも。その「承転」から平気でその「結」に行けることが問題ですね。論理的思考が全くできてないということじゃないですか。普通「結」が決まっていてそこへ持っていかなければならないというなら、「承転」をそれに合わせて構成するもんじゃないですかねえ。(まあ、それはそれで問題ですが)しかもそれが記事になるということは、周りもそれを良しとしているということ。いろんな意味でやばすぎます。まあ、韓国の敵にとってはこれほどおいしい状況はありませんが。

なな・・
2019年3月11日
震災の日はまだ旧ブログでしたね。日本の甚大な被害に大喜びする韓国の人々を見たときの、シンシアリーさんの激しい怒りと悲しみ、よく覚えています。

高木ラブ
2019年3月11日
民間交流が関係改善の礎になるという考え方をしている人は
日本にもいるけど、それが一体どれだけ的外れなのか……。
旅行や留学など浅い接触で深い根っこは変わりません。
日本で生まれ育って韓国語を満足に話せない韓国人ですら
日本の風土に馴染めてない人らがいるんだから。

この学生が迫害されなかったのは出会った人たちに唐突に
見に覚えのないイチャモンを押し付けて謝罪を要求しようと
しなかったからです。もし、それやったら日本での生活に
響くことくらい韓国人の高校生にだって理解できます。
日本で生活して日本人に謝罪を要求できる韓国人なんて
民団や総連にガッツリ関わってる人くらいでしょうよ。

謝罪を求めないという発想ができないのが韓国です。

或るハン
2019年3月11日
明日ソウルの病院で産まれる赤ちゃんは、明日 東京の病院で産まれる赤ちゃんから謝罪をうける権利がある。

こう考えてちっとも不自然に感じない韓国のは、たぶんもう駄目なんでしょう。

七・・
2019年3月11日
不自然に思うどころか、それを本当の日韓の和解、素晴らしいことだと考えるのですよ、韓国人はね。

日本の総理なのに韓国で土下座するポッポこそが、道徳的に正しい日本人なのです。だから日本人学生にも、韓国で土下座させる。

匿名
2019年3月11日
つまり韓国人の思考様式は「日東壮遊歌」の段階にとどまっているということですね。なぜ日本が韓国に謝罪し続けなければならないのか。なぜ韓国は北朝鮮や中国に謝罪も補償も要求しないのか。不思議なんですよね。牢固とした小中華思想から抜け出られないのでしょうね。世界の中の韓国ではなく、中華世界の中の韓国でしかない。まあ日本を憎悪することを70年以上にわたって教育されてきたのですから、いびつな人格の人間集団になっても不思議ではないのですが。
道徳的な民族を自称する割には憎悪という煩悩にとらわれているのですね。霊的・倫理的に生まれ変わらない限り、地獄の苦しみから逃れられませんね。
△以上引用△
>>反日は結論そのもの。起承転がどうであれ、結は決まっているからです。

反日は決して過去のものではない」ということ。

反日は過去の解決を求めるものではなく、過去を永遠に解決できないものにして、現在と未来に持ち込むためのものである」ということ。

そのために「反日は、過程(歴史)から生まれた結果ではなく、予め設定した結果から生まれた過程である」こと。

反日は『~なのかどうか』を許さず、『~でなければならない』だけで構成されている」こと。

反日は、宗教国家の国教みたいに、人々の判断力を圧倒的に支配しているということ。大きなニュースになる政治・外交だけでなく、子供から大人まで、大小様々な事案、生活そのものの中で息づいていること。

>>70年代から、韓国は「併合時代の文献、資料を検証してはいけない」とする動きがありました。その動きの究極的な目標は、資料や文献を完全に無くすものではありません。「もし誰かが資料や文献を検証しても、予め設定しておいた結果(反日)を疑わなくなること」でありましょう。

数十年の努力(?)の結果、韓国社会はその究極の目標にたどり着けた、と見ていいのかもしれません。自分の目で見て「あ、誤解していたのか」と気づいた人でも、反日の根幹だけは決して揺るがない、そんな人たちが量産されていますから。


是非、日本政府に読んで頂きたい内容です。