三・一の真実

中杉 弘の徒然日記さんから引用です。
http://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi/entry-12443207555.html?frm_src=favoritemail
▽以下引用▽
韓国における三・一独立運動の真実 

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李氏朝鮮時代の女性

 今日、韓国は、三・一独立運動の記念式典を盛大に行うらしいのです。テーマは「如何に日本人が韓国で乱暴して、韓国人を苦しめてきたのか?」ということです。
 これは、李承晩が上海に事務所を設けたことが原因です。日韓併合時には、「抗日パルチザン」などの反日運動が、あちこちで起きたのです。何故、反日運動が起きたのでしょうか?
もう一度言ってあげましょう。日韓併合をして泣いて喜んだのは朝鮮人です。まず、何を喜んだのかというと、五等国が一等国になったのです。今までは「朝鮮人だ」と言うと「野蛮人か」と馬鹿にされてきたのです。日本と朝鮮が併合することにより朝鮮人は一等国民になったのです。
(中略)
日本政府は、「朝鮮の社会を阻害しているものは何か?」と考えたのです。これは、儒教による両班の支配です。
(中略)
日韓併合されて庶民は喜んだのですが、喜ばない人間がいたのです。これは誰かというと両班(ヤンパン)です。
(中略)
 李承晩は李 垠殿下が韓国に帰ってくることを絶対に許さなかったのです。朴 正煕が大統領になると、「是非、韓国に来てください。日本の統治に参加されてごくろうさまです」と態度が変わってしまったのです。
 李承晩は李王家を売国奴だとみていたのです。だから、「李王家が韓国国内に入ることは禁じる」と言ったのです。李承晩の政権を倒した朴 正煕は反対に「是非、李 垠殿下は韓国においでください。方子さんも是非おいでください」と言ったのです。
(中略)
 方子さんが日本人だと韓国人はみんな知っていたのです。だから軽蔑されたのかというと、そんなことはありません。非常に尊敬されて、方子さまは慈善事業に尽くされて、亡くなった時は韓国の準国葬扱いです。
(中略)
方子さんは李 垠殿下が亡くなった後も、「私は韓国人だ」と言って韓国のために尽くしたのです。盛大な国葬に準じる扱いをされて、韓国は方子さまに報いたのです。日本に対する悪感情などありません。
 しかし、日韓併合の時に日本に対して悪感情をもった連中がいたのです。それは、当時100万人もいたといわれる両班です。ちょうど日本の武士と思えばよいのです。日本政府は両班を廃止してしまったのです。そんなものは邪魔になります。韓国を法律で運営していくためには、両班を残しておくと邪魔になると考えたのです。だから両班を廃止したのです。
 日本政府は朝鮮の貴族階級である両班を全て廃止したのです。人民は両班の持ち物だったのです。それを日本政府が奪ってしまったのです。「両班などとくだらないことを言うものではないよ。これからは法律で裁くのだ」とやってしまったのです。
 その両班たちが反日運動の元凶になったのです。両班は「チキショウ、元にもどしてやる。奴隷ども逃さんぞ!」と思っていたのです。両班は白丁を奴隷して優雅な生活をしていたのですから、「白丁どもよ、帰って来い」と思っているのです。
 そのように思うと邪魔なのは日本です。日本が近代的な統治を始めて、学校を造り、白丁に字を教えて、どんどん教育をしていったのです。白丁は教育をされればされるほど、両班の言うことは聞かなくなります。
(中略)
両班は100万人もいたのです。その権利が失われて奴隷が逃げて、両班の娯楽である拷問は禁じられたのです。それを両班は怒っているのです。
 「拷問など止めなさい。そんなことをやっていると近代国家になれませんよ」と日本が拷問禁止令を出したのです。犯罪者は法律に則り裁くのです。これが韓国問題の根本です。これがみな抜けているのです。
 字も書けない奴隷の白丁や常民が、独立運動など起こすわけがありません。独立運動を起こすのはインテリの両班です。字が書けて民衆を扇動して、弁が立ち、そのような両班があちこちで「独立しよう」と言ったのです。
 ここではいちいち書きませんが、あちこちで独立運動が起きてきたのです。その一つが上海につくられた李承晩の事務所です。机が一個しかない事務所です。韓国独立運動などと言っていたのですが、実際は何もやってはいません。
 李承晩は両班の上流階級です。李承晩が日本を恨んだ理由はそれです。
(中略)
民族の独立運動というのは、ウソなのです。事実は両班の権力奪回のための争いです。
 日本は朝鮮半島でよいことしかしていません。学校を造り、道路を造り、鉄道を敷き、教育をして、朝鮮人をどんどん立派にしていったのです。両班だけは、「コノヤロウ、余計なことをしやがって」と、頭にきていたのです。
 両班は、「白丁は鞭打ちして拷問すればいいのだよ。そうすれば白丁は言うことを聞くのだ」と思っているのです。当時の白丁は字が書けません。字を書ける白丁は殺してしまったのです。「白丁の分際で字が書ける?とんでもない。白丁は墓も持ってはいかん」と言うのです。
 先祖が誰かとわかってしまうと、そこで団結ができます。だから、白丁は墓を造ってはいけません。白丁は家族から切り離して単独にして、豚や牛と同じ扱いをしたのです。両班は「白丁は働け」と分断統治したのです。白丁は奴隷だから素直に従ったのです。
 何しろ白丁は両班に従わないと、両班からすぐに暴力を受けるのです。鞭打ちの刑にされるのです。白丁は表に引きずり出され、おしりを出されて、鞭で何百回も打たれるのです。
(中略)
両班は最高に残酷です。
 (中略)
両班はその中からいい女を見つけ出して連れて行ったのです。逆らった場合はぶちのめしたのです。両班の拷問はみんなその類です。
 韓国は両班の天下です。100万人くらいいた両班が民衆を奴隷にして押さえつけている国だったのです。朝鮮を近代化するためには、両班は邪魔です。日本も武士をなくしたように、朝鮮も両班をなくさなければ近代化ができなかったのです。すると両班は恨みます。
(中略)
両班の権限を全てなくしたのですから、両班は「チキショウ、今に見ておれ」と日本を恨んだのです。(△紡海)
△以上引用△
李氏朝鮮時代の女性

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