宗教家の思想にすぎない

中杉 弘の徒然日記さんから一部抜粋。
http://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi/entry-12442033082.html?frm_src=favoritemail
▽以下抜粋▽
プー小室という男

いよいよ、プー小室問題も、大終焉近しです。大終焉とは、「終わり」ということです。入り口論が何事においても大事です。入り口論を間違えてしまうと全て間違えてしまいます。
宗教を考える場合もそうです。自分が「どの宗教を選ぼうか?」と思って宗教を選びます。今は宗教の自由ですから「キリスト教を選ぼうか、仏教を選ぼうか、新興宗教を選ぼうか?」と考えて、どの宗教を選んでも自由です。
しかし、選んだ結果は全て違います。宗教の門が沢山あり、その道に入るのです。その先には結論が待っているのです。「どの門から入ろうかな?」と考えて、宗教に入らない人もいます。
「私は絶対に宗教には入らない」という人もいます。実はその人は、「自分の宗教に入ってしまった」ということです。人の宗教には入らないけれども、自分の宗教に入っているのです。その人も、それなりの結果が出ます。
統一教会創価学会、どんな宗教に入っても、入り口があって出口があります。出口は完成品です。「あ~あ、立派な貧乏人になってしまったな。頭まで狂ってしまったな」、或は「ついに人殺しをやってしまったか」というのが完成品です。
(以下省略)

△以上抜粋△
宗教家らしい無茶苦茶な思考だなと思いました。
私個人的には、妄言しか思えません。

特に
》 「私は絶対に宗教には入らない」という人もいます。実はその人は、「自分の宗教に入ってしまった」ということです。人の宗教には入らないけれども、自分の宗教に入っているのです。出口は完成品です。

私は宗教に入っていません。
何故なら、"人"が創った(設立)した宗教は、全て≪インチキ≫だと思っているからです。
では、宗教に入って居らず中杉氏の言う
『「自分の宗教に入ってしまった」ということ』ならば、私の『出口の完成品』は≪インチキな人間≫と言う事なのでしょうか。
それとも、ただ単に(「自分の宗教に入ってしまった」)自己中心的な人間、と言いたいのでしょうか。