蔓延らせた真犯人は誰か

中杉 弘の徒然日記さんから引用です。
https://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi/entry-12426976382.html?frm_src=favoritemail
▼以下引用▼
日本に朝鮮人をのさばらせた真犯人は誰か? 

日本は韓国を併合することに対して大反対だったのです。日本の国家予算の15%をつかって韓国に35年間も注いできたのです。何のためでしょうか?
 韓国には、学校がなかったので、1万校の学校を造ったのです。京城帝国大学まで造ったのです。東京帝国大学(現、東大)と同じ格の大学をソウルに造ったのです。それがソウル大学になったのです。しかも、朝鮮人が入る学校を造ってあげたのです。日本人が入るための学校ではありません。朝鮮人に最高の学問を教えるために造った帝国大学です。日本人も少しは入ったのですが、現地人のための教育機関です。それを北海道帝国大学よりも早く造ったのです。
 医科大学を造り、医学専門学校を造り、女学校を造り、高等専門学校を造り、師範学校は、600校くらい造ったのです。師範学校とは、先生になるための学校です。朝鮮半島には何もなかったのです。道路もありませんから、奪うものなど何もありません。
 何のために朝鮮半島を植民地にしたと言うのでしょうか?
 朝鮮半島からは、奪う物は何一つありません。人口は少なく、衛生概念はなく、治療と言うと豚の頭を拝むだけの迷信だけだったのです。
 朝鮮人の90%は文盲だったのです。日本は江戸時代にはすでに、90%の国民は字が書けたのです。百姓・町人・大工といっても字の読み書きは出来たのです。朝鮮人は90%も字が書けません。何を奪うのでしょうか?
 朝鮮人は裁縫で使う針もできません。車輪もありません。江戸時代には、大八車がどんどん荷物を積んで日本国中で交易していたのですが、朝鮮人に車輪はありません。車輪をつくる木を曲げる技術がありません。荷物は人が担いで運ぶのです。
(中略)
そんな国から何を奪うのでしょうか?
 産業は何もありません。近代的な農業ではないので、お米は少ししか穫れません。そこで日本が農業の技術を教えて、朝鮮で米が沢山収穫できるようにしてあげたのです。
 日韓併合は、1910年8月29日から、1945年9月9日の朝鮮総督府による連合国降伏まで、35年間続きました。1910年から、1944年の35年間で朝鮮半島の人口は、1312万人だったのが、2512万人に増加したのです。人口は2倍以上増えたのです。(1920年国勢調査では、17,264,119人。1944年推計では、25,120,000人)
これは日本のおかげです。衛生状態がよくなり、医療がよくなり、農業生産物が上がり、教養が身に付いてくるので、人口が2倍に増えたのです。朝鮮人から何を奪ったと言うのでしょうか?
 朝鮮人には与えきれないくらい与えて、奪った物など何もありません。そのことをもう一度、よく考えなければいけません。それを「植民地にされた」というのは、恐ろしい詭弁です。
 韓国のどこが植民地なのでしょうか?
 植民地は物資を収奪するためにあるのですから、植民地の人間は、本国の役人にはなれません。朝鮮総督府の役人は全員朝鮮人です。日本が学校を造り、朝鮮人に字を教えたので、朝鮮人から文盲はいなくなったのです。
 これは有名な話ですが、韓国の元大統領の朴 正煕は、白丁(ペゥチョ)の出身です。白丁は奴隷階級です。朝鮮の身分制度は王様、両班、中人、常人、白丁(奴隷)です。50%の白丁がいたのです。朝鮮人の人口のうち、50%は白丁です。
 両班は、「白丁は字を覚えてはいけない、字を覚えたら手を斬りおとす」というのです。白丁は墓を造ってもいけない、墓参りに行ってもいけないのです。「苗字を名乗ってもいけない」と言い、両班は白丁を奴隷状態で置いておいたのです。李氏朝鮮時代の白丁は最も汚い軽蔑されるものとされていたのです。
白丁を解放したのは日本です。朝鮮人の半数以上は白丁です。両班は白丁を差別して苛めていたのです。食堂で食事をしている白丁を見つけると、いきなり両班が来て殴り倒すのです。「どけ、ここは、白丁の来るところではない!」と言うのです。日本人に成りすました、奥村という朝鮮人が言っていました。両班は今でも白丁を見つけると、いきなり殴り飛ばすのです。今でも白丁は、そのような扱いを受けているのです。
 奴隷だった白丁を日本が解放してあげたのです。朝鮮には警察もなかったのです。何故かというと、両班が威張っていたのです。両班が「おい、あいつを捕まえて鞭打ちの刑にしろ!」「あいつを死刑にしろ!」と言われたら、その通りやるのですから警察はいりません。庶民は誰も守ってくれません。両班の所有物ですから、両班の思いのままです。
 「あの女をもらっていくぞ」「米をみんなもらっていくぞ」と両班が全てもっていくから、朝鮮人は怠け者になってしまったのです。働いて収穫したものは全て両班がもっていくのです。
 警察をつくり、「両班の拷問を止めろ」と言ったのも日本です。不合理なことを全て止めさせたのです。朝鮮の医療と言えば、豚の頭を拝み、踊りまくる呪術だけだったのです。そんな医療しかなかったのです。現実は、日本人と恐ろしい違いです。迷信や人種差別や拷問を全て止めさせたのは日本です。
 朝鮮人には衛生概念がまるでなかったのです。水道もなければ下水道もありません。朝鮮人は小川で全ての用を足していたのです。その小川を上下水道として使っていたのです。小川でウンコをして、小便をするのです。ウンコがプワプワと流れてくると、それをかき分けて、小川の水を汲んできてご飯を炊いたのです。そんなことがあるのでしょうか?
 日本人ならばそんな不衛生なことは考えられません。
 江戸時代は下水道と上水道はしっかりと分かれていました。朝鮮には、それも無かったのです。日本が水道を引いて、下水道もつくってあげて、大都会でも道路もなかったのです。車がないから、人間だけが通ればよいのです。人間が2人すれ違うような道幅の両脇に、みすぼらしい掘っ立て小屋がズラリと立ち並んでいたのです。
 日本は、最高の建築を教えて、2階建ての家を造ってあげて、レンガ造りの学校を1万校造ってあげても朝鮮人は感謝もしません。朝鮮人から奪ったものは、何があるのか言って御覧なさい。何もありません。それなのになぜ「植民地にされた」と言われなければいけないのでしょうか?
 こんなことはあり得ません。自民党の連中もそんなことは知っていたのです。知っていながら、なぜ「植民地でした」と言ってしまったのでしょうか?
 それが戦後、70年も続いているのです。田母神閣下、元韓国大使の武藤正敏さん、自民党松川るい石原慎太郎などのような相当な識者でも「朝鮮を植民地にした」と思い込んでしまっているのです。この認識を直してもらわなければいけません。(に続く)
▲以上引用▲

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