どうしても過去に執着しないと生きていけない

どうしても五輪マラソン金メダリスト孫基禎(ソン・ギテイ)を、南朝鮮国籍にしたい南朝鮮人。
古い記事ですが。

-以下引用-

2011/3/3 東亜日報
孫基禎さんのIOC表記、今も「ギテイ・ソン」

1970年の光復節の8月15日、ドイツ・ベルリン五輪のスタジアム。
韓国のある国会議員が、漆黒のような闇の中で梯子に上った。
彼のそばには妻がいた。彼は、国内から持ってきた装備を取り出し、1936年のベルリン五輪優勝者記念塔の石壁に彫られたマラソンの金メダリスト、孫基禎(ソン・ギジョン)の国籍を日本から韓国に変えた。
「ジャパン」を取り、「コリア」と彫るのに5時間かかった。

スタジアム職員も気づかなかったが、後になって警察に通報し、不法侵入および公共財産破壊の容疑で逮捕状が出たものの、彼はすでに去った後だった。
ドイツ当局は、再び孫基禎の国籍を日本に戻した。

「のみや金槌を持って行きました。行ってみると思ったより高く、梯子だけ新しく購入しました。夜0時頃に始めましたが、いつの間にか夜が明けていました」。
緊迫した状況を思い出した彼の額には、いつの間にか汗がにじんでいた。90歳目前だが、あの日の記憶だけは鮮明だった。

(中略)

08年の北京五輪のホームページに、孫基禎の国籍が日本になっており、論議を呼んだ。現在、国際オリンピック委員会(IOC)のホームページにも、ベルリン五輪のマラソン金メダリストは日本国籍の「ギテイ・ソン」となっている。

(中略)

政界引退後、04年から約4.96平方メートル(1.5坪)のコンテナに住み、クリーンな政治家で知られている朴氏は、「孫基禎を堂々と韓国人にしてこそ、思いを遂げることができます。
余生の唯一の目標です。そうしてこそ、孫基禎も安らかに眠れるでしょう」と強調した。

朴氏のこのような動きに対し、大韓体育会のある関係者は、「別の植民地国家との公平性などから見て、容易ではない。今後、孫基禎の国籍が日本と出ないようにすることに努める立場だ」と明らかにした。

元文化観光部次官の裵鍾信(ペ・ジョンシン)2014年仁川(インチョン)アジア競技組織委員会事務総長は、「しなければならないことだが、難題が多い。歴史解決という意味で、韓日間の合意を経て、IOCに訂正を要求しなければならない」と述べた。

http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2011030326508

-引用ここまで-

因みに孫基禎の出身は、現在でいう北朝鮮です。
南朝鮮南朝鮮人にとって都合の悪い事は、目を瞑り見ない
耳を塞ぎ聞かない精神を、よく表している記事です。