趙 春花さん同胞(南朝鮮人)の米軍慰安婦が苦しんでいますよ

何故、アメリ従軍慰安婦像を建てないのですか?
大きな声で叫ばないのは何故ですか?
米国が怖いからですか?
米軍慰安婦では、お金ならないからですか?
福島みずほがインチキ人権派だと言う事がわかります。

シンシアリーさんのブログから引用です。

-以下引用-

米軍慰安婦の証言、「今」の韓国とまったく同じ

<・・1971年、彼女(証言者)の年齢は十五歳だった。

「職業紹介所に行ったら、立ってみろと言われました。立ち上がったら、再び座れと言われまして。(それだけで)紹介料1万5000ウォンで私を京畿道ヨンチョン(地名)の基地村に送りました。

知らなかったけど、そこに行くと、主人(店舗主)が、軍人の相手をしろというのですよ・・
(中略)・・傷ができて、痛くてできないと言いましたが、主は構わずにまた軍人を入れました。(痛くて)座ってもいられませんでした」。

職業安定所の詐欺で「基地村」に行ったMさん。彼女は客として来た軍人にここから出して欲しいと助けを求めた。しかし、その軍人は店主にこの事実を伝えた。店主は彼女を東豆川ボサンドン(地名)の基地村に渡した。東豆川でも3~4ヶ月経ってから店主によって再び議政府ペッボル村に渡された。これらは、彼女が15~16歳のときのことだ。

Q Mさんのように未成年者が基地村に多かったのですか。

A ペッボル村には同じ年頃が多かった。半分以上は未成年者だった。

Q 当時基地村女性は「登録」をしなければならないと聞きました。このように多くの未成年者は、どのように「米軍慰安婦」になったのですか。

A 店舗主がどこかに連れて行って、あるおじさんが偽の住民登録証を作成しました。それで検診を受けました。当時、住民証(年齢)が本当の私と6歳の差でした。住民証年齢が21か22歳だったか、でした・・
(中略)・・しかし、子供たち(未成年者)が、今は大人にも見えるでしょう。でも、当時は、(未成年だと)すぐわかります。子供(未成年者)か二十歳になった人かは、はっきり差がありました。でも、(公務員や警察が未成年者を見ても)誰も制裁をしませんでした。」

若いMさんは、基地村で借金に苦しまれた。ペッボル村の店主はMさんに「お前は200ドルの借金がある」とした。Mさんが複数の基地村を移していく中、紹介などで使った費用は、彼女に「借金」になって帰ってきた。

「1ヶ月に数万ウォン持って行けば、借金の返済に使われます・・(頑張っても)十万ウォンといった大金が稼げることはありません。借金を返しても、(現金の替わりに)家具を入れてくれます。昔のもの。お金はなかなかくれません」

金がないから、逃げるのも容易ではなかった。そうでなくても、女性が抜け出すのは難しいところが基地村である。国が基地村を軍部隊の周りに計画的に造成したので、基地村女性の多くは、孤立していた。地域の公職社会・警察が店舗主と癒着して基地村女性たちを監視した。

「逃げて、捕まると、ひどく殴られます。逃げた人を捕まえてくる経費などもすべてその女の借金になります。殴られるし負債は増えるし。ここ(ペッボル村)は、孤立していて逃げるのはさらに難しかった。以前はすべて畑だったんです。警察に言ってもだめです。地元の警察はグルだから・・
(中略)・・そこの警長(警察職位の一つ)さん、後でクラブ(基地村売春業者)を作りましたよ」

ペッボル村では、米軍の犯罪も頻繁に起こった。Mさんはいつも恐れていた。「ひどく殴られた子もいます。刀で刺された子も。(基地村女性を)米軍が持ち上げて投げつけたこともありました。暴行は常にあった」

犯罪と同じくらい恐れていたのは、米軍の「コンタクト」と韓国保健当局が行う「討伐」。「コンタクト」は、米軍が基地村女性を「性感染症がある」と名指しすることで、その女性はすぐに検査脱落者に分類される。しかし、「コンタクト」は、実際に性感染症に感染していない人を名指しする場合が多かった。「討伐」は、韓国の公務員が性病検診症(パス)がない女性を捕まえるものである。「コンタクト」と「討伐」どちらの場合も、「モンキーハウス」と呼ばれた検査脱落者収容所に監禁された。監禁された女性は、政府が管理する「モンキーハウス」で深刻な人権侵害を経験した。

「性病のかかった米軍たちが来て、病気が(あの女から感染った」というと、その女は無条件で(検査脱落者収容所に)行く必要がありました。でも、米軍が、実際は人を選ばないでやりまくるから。気に入らない子を名指しします。脱落者となった子は連れて行かれてペニシリン打たれて3日待たなければならい。ペニシリン注射はいくら忍耐強くても、それはがまんできないものでした。副作用の子を見たこともあります。(口から)泡を吹いてました」


そんなある日、Mさんは基地村である米軍に会った。彼は「借金を返してあげるからm一緒に暮らそう」と言った。Mさんは初めて借金から解放された。その兵士は数年後、米国に渡った。一人残されたMさんは結婚して家庭を築くことをあきらめた。そして、議政府基地村の周辺でレストランの従業員などをして住んでいた。現在は腰痛のせいで仕事をしていない。基礎生活受給者で生計をたてている・・>

http://media.daum.net/society/all/newsview?newsid=20160826105004313

Mさんは、「せめて、あの時、店主と女の関係を法的に考えてくれたら、これほど利用されて殴られることはなかっただろう・・それだけは国に言いたい」と話しました。

「なにがリアルなのか」の続きですが、まず、いわゆる日本軍慰安婦たちみたいに組織化が進んでいるわけでもないのに、2014年の記事とあまりにも状況説明が同じです(証言したのは別の人で、Mさんのほうが幼い)。また、指摘された建物の一部などがまだ残っています。

そして、なにより、「借金漬けにしてこき使い」というやり方が、「今」の韓国のやり方とまったく同じです。

-引用ここまで-

シンシアリーさんのブログは、こちら
http://ameblo.jp/sincerelee/entry-12209205883.html?frm_src=favoritemail