残酷物語

中杉 弘の徒然日記さんから引用です。
http://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi/entry-12441764921.html?frm_src=favoritemail
▽以下引用▽
韓国残酷物語 

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※左ー100万人都市の江戸の街並み(今と変わりありませんね)
 右ー李氏朝鮮時代のソウル(これは人間が住む家なのでしょうか?)
<※本文では左・右となっていますが、当ブログでは上・下での投稿になっています>

 お隣の国、韓国は近くの国ではあるけれども、これほど嫌らしい民族はいません。韓国人はまともなところは何もありません。馬鹿・ウソつき・妬み、全く腐った女のような民族です。
 女はウソをつきます。何故、ウソをつくかわかりますか?
 それは、力がないからです。「ウソをつく」ということは、「実体がない」と知っているからウソをつくのです。だから、次から次へとウソをつくのです。攻められても、ウソで逃げるのです。何処までいっても、ウソ・ウソ・ウソの連続です。ということは、韓国は全然力がないということです。
日本は明治維新の後、わずか数十年で世界の一等国になってしまったのです。この力は恐ろしいのです。この日本の力は何処にあったのかというと、江戸時代からすでにあったのです。
 これをみな忘れているのです。
(中略)
 まず、江戸が世界一の都市となった最大の理由は、上水道と下水道を分けたことです。こんな民族は他にはありません。パリは当時、道を歩いているとウンコが上から降ってきたのです。フランス人はオマルで小便・大便をしていたので、トイレはありません。
 2階の窓からオマルに溜まった汚物を投げ捨てたのです。汚物が道端にビシャと落っこちます。それで、フランス人は帽子をかぶっていたのです。これは本当です。歩いているとスカートや靴も汚れてしまうから、ハイヒールが出来てきたのです。
 当時のフランスは馬車ですから、馬は至る所で馬糞を落とします。馬の糞が転がっているところに人糞も降ってくるという構図ですから、別にそれが普通だと思っていたのです。パリですらそうなのです。キレイな王宮でも中はみんなそうです。臭くて仕方ないのです。だから香水が出来てきたのです。パリでも下水道はありません。
 ローマ時代はそんなことはありません。2000年前に下水道がちゃんとあったのです。水洗トイレもあったのです。水洗トイレに座ると、下水道の水が流れているので、大便をするとそのまま流れてしまうのです。ローマ時代は凄いのです。現代の生活とあまり変わりはありません。
 そのような例はありますが、江戸時代の日本も上水道と下水道が完全に分けられていたのです。これは凄いことなのです。江戸の町は清潔なので、コレラなどの病気にはかからなかったのです。
 江戸時代の長屋があり、長屋の間には下水道にはどぶ板がかかっていたのです。別の場所に共同で使う炊事場があります。炊事場から下水道に流れていくのです。世界に例がありません。凄い国です。
 朝鮮はとんでもない国です。下水道も上水道も一緒です。「朝鮮はクソ味噌一緒」と表現されますが、本当にそうなのです。ソウルの真ん中に流れている小さな川があり、大根を洗い、顔を洗い、小便もする、大便もする、もうグチャグチャです。朝鮮人は衛生概念が全くありません。
僕が子供の頃、聞いた話だと中国も同じです。中国人は大便をすると、縄が張ってあります。紙がないから、大便をした後にその縄にこすりつけるのです。するとその縄が乾いてまたそれを使うのです。そのように聞いた覚えがあります。中国人は便所に豚を飼っていて、大便をすると豚がその場で食うのです。ひどい生活です。衛生概念など全くありません。
それとは反対に下水道がきちんと管理されていた江戸時代は凄いのです。
(中略)
 田んぼには肥溜があったのです。そこに人糞を貯めていくと、だんだん発酵してくるのです。
(中略)
 江戸時代の家を見てください。立派な家並みです。何から何までみんなあったのです。江戸時代には、なんと歯磨きもあったのです。歯磨きという発想が出てくるのは、もっと後のことです。
 日本ではもう歯磨き粉を売っていたのです。白粉も売っていました。江戸時代は何でもあったのです。お風呂もありました。朝鮮にはお風呂もなかったのです。風呂に入るという習慣がないのです。
 どうしていたのかというと、ドブ川に入って体も頭も洗っていたのです。まして、庶民はお風呂に入る週間は全くありません。江戸時代は長屋の隅々まで銭湯がありました。
(中略)
日本人の清潔好きな生活は、見事な生活です。ゴミなど一つも落ちていません。
 まして、犬は大事にされて「お犬様」の時代まであったのです。「犬を苛めた奴は死刑にする」と言うのです。法律まで出来てしまったのです。お犬様が座布団に座って駕籠に乗ってくるのです。
 「お犬様だ」と言って庶民は土下座したのです。中野の警察病院があった場所には犬牧場があったのです。3千頭の犬がいたのです。まして、「犬を食ってしまった」などと言ったら、獄門さらし首です。
 犬だけではありません。全ての動物を憐れむということで、犬を大事にしたのです。将軍の公方様が戌年だったのです。動物愛護の精神が江戸時代にはもうあったのですから、精神文化の面でも世界一進んでいたのです。(△紡海)
△以上引用△
中杉氏は、汚物話を好んでする印象があります。
ただ書かれている事は、ほぼほぼ正しいようですが。