舌を抜かれて

亡くなったモノ(戦時中売春婦の象徴キムボットン(享年93歳))を悪く言う事は
心が貧しい事かもしれませんが。
今頃は舌を抜かれて、地獄送りになっているはずです。

在日朝鮮人から見た韓国の新聞さんから引用です。
http://blog.livedoor.jp/kanedashoji70/archives/28095337.html
▽以下引用▽
慰安婦:キム・ボクトン ハルモニの証言
2015/04/24 18:09 

「私がこうして生きているのに慰安婦の証拠がないなんて」(2015.4.24 朝鮮日報)

「(元慰安婦)本人が証拠として生きているのに証拠がないなんて、あんまりじゃないか。日本の植民地から解放されたというが、私たちはまだ解放されていない」

23日午後、東京都千代田区参議院議員会館講堂で「日本軍慰安婦問題解決のためのシンポジウム」が開かれた。日本の国会議員、市民団体関係者、ジャーナリストら聴衆300人の前で元慰安婦のキム・ボクトンさん(89)がマイクを握った。キムさんは15歳の時に慰安婦として連行され、中国の広東省・香港・シンガポールなどで従軍慰安婦をしていた経験を証言、「一日でも早く安倍(晋三首相)が歴史認識を正し、一日でも早く私たちのことを私たちが死ぬ前に解決してくれればどれだけいいか」と訴えた。

このシンポジウムは日本の市民団体「日本軍『慰安婦』問題解決全国行動」と「日本の戦争責任資料センター」が、日本政府に慰安婦問題の解決を促すため開催した。キムさんのほか、在日韓国人2世の梁澄子(ヤン・ジンジャ)日本軍「慰安婦」問題解決全国行動共同代表、尹美香(ユン・ミヒャン)韓国挺身隊問題対策協議会常任代表、和田春樹東京大学名誉教授らが出席し発言した。主催側は昨年6月、第12回日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議で決定された「軍慰安婦問題と関連した事実認定」や「謝罪の証拠としての被害者に対する賠償」などを骨子とする解決策を日本政府が一日も早く履行するよう求め、「戦後70年の今年、被害者に安息と平和を与える道は日本政府と安倍首相にかかっている」と訴えた。(抜粋)

慰安婦の証拠がないなんて」

それはあなたの証言に信憑性がないからです。ということで、ハルモニが元気なうちに年長者に対する敬意をこめて貴方の証言とそして裏付け資料との関連性を完全にブッタ斬っておきたいと思います。

キム・ボクトン(金福童)ハルモニは、非常に珍しい存在が確認できた、と"される"慰安婦かも知れません。1947年9月に作成された軍属名簿「第16軍司令部同直轄部隊朝鮮人留守名簿第4課南方班」に金福童が「看護婦」として採用されていた記録が残っているからです。

ということで、その記録を見てみましょう。

共に韓国挺身隊研究所より

この名簿を見ると、1945年8月31日当時21歳であることが分かるだけですね。ようするに1924年生まれ。庸人であった、ということ。

さて、キム・ボクトン ハルモニの証言を探してみましたので、取り上げてみますね。

“22년간의 절규, 언제까지 외면할 텐가”(2012.7.26 Korea Times)
22年にも及ぶ叫びをいつまで無視し続けるつもりなのか

25일 오후 1시, LA 다운타운의 일본 총영사관 앞에서는 아주 특별한 집회가 열렸다. 14세의 어린 나이에 일본군 위안부로 끌려가 갖은 고초를 겪은 일본 제국주의 만행의 산증인 김복동(86) 할머니가 70여명의 한인들과 함께 일본 정부의 공식 사죄와 배상을 촉구하는 목소리를 높인 것이다. 

김복동 할머니는 14세 때 위안부로 끌려가 일본군 15사단에 귀속, 대만, 홍콩, 중국 광동, 인도네시아, 싱가포르 등지에서 일본의 2차대전 패전 때까지 8년 동안 성노예로 고통 받았다.

한국 정부의 외면과 주위의 차가운 시선이 더 마음 아팠다는 김복동 할머니는 1992년 자신이 당한 인권 유린을 신고했다. 

25日午後1時、LAダウンタウンの日本総領事館前では非常に特別な集会が開かれた。14歳の若さで日本軍慰安婦に連れて行かれさまざまな苦難を経験した日本帝国主義の蛮行の生き証人キム・ボクトン(86)ハルモニが70人の韓国人たちと一緒に日本政府の公式謝罪と賠償を求める声を高めたものである。

キム・ボクトン ハルモニは14歳のときに慰安婦に連れて行かれ、日本軍15師団に帰属、台湾、香港、中国広東省インドネシアシンガポールなどで、日本の第2次大戦敗戦までの8年間、性奴隷に苦しんだ。

韓国政府の外面と周囲の冷たい視線により心精神的に病んでいたキムボクトン ハルモニは1992年に自身がされた人権蹂躙を申告した。(抜粋)

もう一つ、別な証言も加えてみましょう。日本軍慰安婦問題関西ネットワークによると

「軍服を作る工場だと言われて連れて行かれた所で軍人の性の相手をさせられるという、この残酷な歴史をみなさんはご存知でしょうか。あのひどい日本軍の性奴隷とされた5年間、血のにじむような涙なしには過ごせなかった、踏みにじられたあの犠牲の日々をあなた方は知らないと思います。」

私は陸軍15師団の本部に連れられて戦場を行き来しました。戦争が終わったことも知らされませんでした。最後まで「慰安婦」というものを隠して私たちのことを看護師だとウソをついて第16軍病院で訓練を受けさせられました。そのような経験をしてやっと国が解放されたことを知りました。日本軍は先に撤去してしまって私たちだけが残りました。米軍が上陸して米軍の収容所に収容されました。そこで全てのことを調べられて調査を受けて調査が終わった時点でやっと韓国に帰ってくることができたのです。」
この記事からキム・ボクトン ハルモニの慰安婦としての関連情報を抜粋すると、

・2012年で86歳
・軍服を作る工場だと言われて連れていかれた
・14歳で慰安婦(記事では15歳)
・日本軍第15師団に帰属(両方で同じ証言)
・台湾、香港、広東省インドネシアシンガポールなどで慰安婦
・8年間性奴隷だった(片方では5年間)

ということになりますか。

2012年に86歳ですから1926年生まれなんですね。ですが、資料では1924年生まれを示唆する。何せ、この手の公文書は満年齢記載が原則でしたから。戦前の人は年齢を数えで数えても、公文書は満年齢。ここは重要なので覚えておいてください。
この時点で、資料に出てくる金福童と慰安婦キムハルモニは同一人物ではない事が分かります。

これで終えても良いのですが、続きを。

このキムハルモニはもう20年近く活動している超ベテランさんなんですね。で、当初は「慰安婦として連行」だったのですが、これも使い分けがとてもお上手になり、国内や海外では慰安婦として連行、日本では挺身隊として、という言い方ですね。

ですが、1926年生まれで、14歳。数えなら1938年、満なら1940年。挺身隊も徴用もありません(女子挺身隊の徴用が始まったのは1944年8月から)。また1938年は慰安婦の募集も始まっておらず、ほぼ妓生として売られた人たち。そこには日本軍は塵ほども関与していません。

次に、証言では第15師団に居たと繰り返しています。ここはブレていないですね。ところがこの第15師団はビルマの部隊であり最終的には第15軍に編入され終戦をタイで迎える。そして、資料にある第16軍はインドネシアの舞台で終戦ジャカルタ。全く接点がありません。それではキムハルモニの記憶違いで、本当は第15師団ではなく第16軍にいたのかというと、それは公文書が否定するんですね。年齢から完全に別人ですから。

そして、第15師団云々はキムハルモニのいう戦地に向かわない事からも全て否定できます。

オーラルヒストリーの原則、というのがあります。証言に手を加えないで記録していく事が基本にあるんですね。辻褄が合わなくても、証言をそのまま記録する。これは確かに大切ですが、今度はそれを史実に基づき検証していかなければいけません。

この公文書はキムハルモニの証言の裏付けに使用されますが、年齢の違いをなぜ慰安婦団体は気づかないのでしょうか。公文書も"数え"で記録すると思い込んでいるのでしょうか。

中には想像力が豊かな人がいて、実はキムハルモニは第15師団ではなく途中から第18師団に居たんだ、という人もいます。第18師団なら台湾以外は全てキムハルモニのいう戦地を巡っているからだ、という論法です。ところが第16軍は第48師団が所属し第18師団は第25軍。この2つが交差することはなく、師団本部にくっついて移動していたと証言している事から、途中から第18師団に居たことも、いつのまにか第16軍に移っていたという事も絶対にあり得ない。

ということで、最後にキムハルモニの素晴らしい証言で締めくくりたいと思います。

>한국전쟁 당시 일본군에 무참하게 짓밟히고 억울하게 당했다.
朝鮮戦争当時、日本軍に無惨に踏みにじられて悔しい思いをさせられた。

ちなみに、現在は記事が"修正"されていて、「일제 강점기 시절 (日本植民地時代当時)」になっているのも笑えます。
△以上引用△
舌を抜かれて地獄送りでは足りない程の嘘吐きです。