ツッコミどころ満載の証言②

活動履歴 編集

2000年、女性国際戦犯法廷にて慰安婦として金君子らと共に証言。
2004年12月3日、岡崎トミ子衆議院議員や神本美恵子参議院議員の紹介で角田義一参議院副議長や細田博之官房長官と面談。「私の青春を奪った日本軍、日本政府を許すことはできない。」など激しく糾弾を行った[17]。
2006年10月3日、「古今東西慰安婦はいても、従軍慰安婦はいない」と発言した上田清司埼玉県知事に抗議するため、支援者たちと埼玉県庁に訪問。知事と面会の約束は取っていなかったため、県議会議事堂に移動中の知事を取り囲んで抗議を行なった。この後、記者会見を開いたイは「私は当事者。知事の目の前ではっきりと証言したかった」と述べた[18][19]。
2007年11月17日、吉見義明らが立ち上げた連帯ネットワーク慰安婦問題解決オール連帯ネットワークの旗揚げ集会で講演を行う
2007年2月23日、日朝協会主催の「イ・ヨンスさんのお話を聞く会」のため来日。この集会は、女性国際戦犯法廷で『慰安所は有料だが、強姦なら無料』という理由で中国人女性を強姦したことを証言した中国帰還者連絡会の金子安次も参加し、イの発言を支持した。(集会後、イは金子と握手し、仲良く記念撮影をしている。)[20]。
2007年3月1日、上田清司埼玉県知事と面談し、「私は確実な被害者です。16歳(数え年)で台湾の特高隊員に連れ去られた。1946年に帰国したがその時は両親が亡くなっていた。知事は両親も殺したのですよ。」と謝罪を求めた。(知事は、「従軍はあったが(従軍)慰安婦はなかった。戦争の時は常に起こりうることだ。これからは平和のために頑張りたい。隣の国だし友好関係になれるように努力する。」と述べるに留まった。)[21]
2007年3月2日、日本外国特派員協会で記者会見し、「強制はなかったとか慰安婦はいなかったとか日本は言っているが、私が慰安婦として強制連行された当事者であり、証人だ」と批判した。
2007年4月27日、安倍晋三総理大臣がワシントン市にある日系アメリカ人の戦没者記念碑に献花をするために訪問すると、それに合わせてワシントン市内で、韓国系市民団体と一緒に抗議デモを行った[22]。
2007年4月28日、アメリカ合衆国ハーバード大学ケネディー・スクールで、「1944年に強制連行された後、繰り返された無差別な暴行・強姦・拷問を受けた」と証言し、アメリカ合衆国下院121号決議への支持を訴えた[23]。
2007年4月29日、ボストン都心観光名所であるクィンシー・マーケット近隣で市民たちを相手に、日本の蛮行を喧伝し、米下院軍隊慰安婦決議案採択を促す署名運動を行った[24]。
2007年6月14日、参議院会館前で行われた『旧日本軍の性暴力被害者に謝罪と賠償を求める国会前スタンディング』に参加するために来日[25]。
2007年7月30日、アメリカ合衆国下院121号決議が成立すると、記者会見で「決議案は真実と正義が勝つということを立証してくれた。米国と国際社会の良心の勝利だった」「米国議会が私の恨みを晴らしてくれた。日本は私の前で謝罪し、賠償すべきだ」と絶叫した[26]
2007年11月1日、埼玉県平和資料館が、常設展示の年表中にある「従軍慰安婦」の表記を「慰安婦」に変更したことを巡り、元に戻すよう求める市民団体に招聘され「『従軍』なしでは強制された事実が伝わらない」と宍戸信敏館長らと訴えたが、宍戸館長は「検討した結果。変えるつもりはない」と退けた[27]。
2009年3月4日、従軍慰安婦問題について日本政府が「日韓条約で解決済み」と主張しているため、日本政府に「日韓会談文書」を全面情報公開するよう求めている裁判に参加し、東京地方裁判所で証言を行う。その後の記者会見で「なぜ被害者の私が日本に来て法廷で訴えなくてはならないのか?と思うと涙が出てきた。」と話した[28]。
2009年10月28日、衆議院第二議員会館で開催された戦時性暴力問題連絡協議会の主催による院内集会に参加するため、尹美香挺対協共同代表と一緒に来日[29]
2011年07月18日、日本軍『慰安婦』問題の早期解決をめざす宮城の会(一戸葉子事務局長、仙台市青葉区)が主催する集会に参加するため来日。[30][31]
2011年8月31日、韓国の金星煥外交通商部長官に対して、日本軍「慰安婦」問題解決および法的責任を追及する外交政策を即時に履行するように公式書簡を送った[32]。
2011年12月11日、ニューヨークの国連駐在日本代表部に韓国人の支援団体などを引き連れて訪問。対応した木村公使に「日本は一日でもはやく謝罪し賠償しなければならない」「日王(天皇のこと)が私の前にきてひざまずいて謝罪しなければならない」などと求めたが、木村公使は日本政府の公式見解を繰り返した[33]。
2011年12月15日、アメリカ合衆国ニュージャージー州パリセイズパーク市(英語版)の韓国人有権者センターが同市の市立図書館に建立した「日本人が20万人の女性を拉致した」と記されている慰安婦の碑を李玉善と一緒に訪問し、記者たちの見ている前で号泣した[34]。
2015年4月、日本の安倍首相の訪米が訪米し、上下両院合同会議で演説が決定すると、従軍慰安婦への謝罪を演説に入れるように要請。合わせて、議会前で抗議活動を行った[35][36]
2015年5月、植村隆とロサンゼルスで合同講演を行い、植村と李は日本の歴史修正主義者と戦うことを宣言した[37]。
2016年3月、慰安婦問題日韓合意を無効化するため、米国ワシントンで開かれる核安全保障サミットに合わせて訪米し、キャンペーン運動を行うことを表明した[38]。
2016年7月1日に北朝鮮の新たな核実験成功という脅威に弾道弾迎撃ミサイルTHAADの韓国への配備計画を決めた朴槿恵政権の決定に対して、韓国政府に慰安婦認定された高齢者二人を加えた6人で韓国国際協議会(International assembly of Republic of Korea)にて反対表明をして、「サードを青瓦台(韓国大統領府)に配備して朴槿恵大統領が安全性を証明せよ」と公式記者会見を開いて政権糾弾を行った[39]。