表現は乱暴ですが

考えさせられるブログです。
中杉 弘の徒然日記さんからの引用です。

-以下引用-
記事タイトル:シナ人は人肉を食らう

http://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi/entry-12404917137.html?frm_src=favoritemail

水曜日の虎ノ門ニュースに出演した、西村眞悟さんがこんなことを言っていました。中国人は人肉を食らいます。すると一平ちゃんが「その話はまずいですよ」と必死に止めました。シナ人は本当に人肉を食っているらしいのです。
これは冗談ではありません。むしろ人肉を食らう奴でないと中国や朝鮮の政治はできません。毎回言いますが、天皇は優しいものではありません。国民の側には天皇が恐ろしいということは伝わってきません。天皇は人間を食ったりしません。多くの奴隷を従えて秦の始皇帝のように生き埋めにしたりすることを我が国の天皇はなさいません。
他の君主は大なり小なり大勢の人間を殺しています。それは共産主義であろうと同じです。毛沢東は7800万人、スターリンは2300万人、ポル・ポトは170万人を殺しています。彼らは何のためらいもなく人々を殺すのです。
そのような人間でないとトップにはなれません。しかも、カンボジアの場合はとくにひどくて、子供に両親を殺させるのです。しかも弾がもったいないので、殴り殺したのです。カンボジアの田んぼを掘ると人骨だらけです。恐ろしい国です。
中国もそうです。毛沢東紅衛兵をつくり、「学校の先生を殺せ、インテリを殺せ、地位ある者、社会的な権力者をぶっ殺せ、誰が殺すのだ。君たちが殺すのだ!」と言ったのです。毛沢東は子供に赤い手帳を持たせて、紅衛兵に赤い腕章を巻いて、「インテリ階級を皆殺しにしろ!」という指令を出したのです。
インテリ階級に三角帽をかぶせて、校庭の真ん中に引きずり出したのです。胸には罪状の看板がかけられています。「皆さんをだまして、悪の知識をつけて国家に謀反をするような、とんでもないことを教えてきました。従って私が罰されるのは当然のことです」という看板を首から下げられて、大衆が吊るしあげたのです。
「中国が発展しないのは、お前が悪いのだ、謝れ!」と何千人という紅衛兵が糾弾したのです。そこでビデオは終わります。その後が大変です。「ぶっ殺せ!」とそのインテリをぶっ殺したのです。それを遠巻きにみんなが見ていて、「野郎は死んだか」とわかると、飯盒(はんごう)をもって「いけ!」と死体をめがけて走っていくのです。
それで肉をむしり取ったのです。「俺は足の肉をもらった」「俺は手の肉をもらった」「俺は頭の肉をもらった」と、死体の肉をちぎって飯盒に入れて持ち帰ったのです。生肉ですから、その場では食べられません。
紅衛兵は若いので我先にと死体の肉をちぎって取っていきますが、年寄りは死体に寄りつけません。夜になって校庭に行くと死体は骨しかありません。そこで死体に近寄って老婆が頭蓋骨を割って脳みそをチュウチュウと吸ったのです。
紅衛兵は支配階級をぶっ殺して食ってしまったのです。それで終わりかと思ったら終わりではありません。紅衛兵の中に新しい組織ができてしまったのです。「俺は●●地区の委員長だ」という権力ができてしまうので、第二紅衛兵をつくりそれと戦わせるのです。
するとインテリをぶっ殺した紅衛兵の親分をまたぶっ殺すのです。今度は内輪で殺し合いをするのです。するとそこで勝った奴らに権力ができてきます。そこでまた紅衛兵の組織をつくり、それと戦わせるのです。だから、何千万人という人が死んでしまったのです。
毛沢東は常に内乱を起こしたのです。政治とはそのようなもので、恐ろしいのです。これを日本人はよく知らなければいけません。文化大革命では人間はぶっ殺されて、人間の肉まで食われたのです。
特に中国人はその傾向が強くて戦争に行く時に食料はもっていきません。「食料?そこに敵がいるじゃないか。あれを殺せばいくらでも食料はあるのだよ」というので、食料などもっていきません。
「ウワー」と攻めて敵をぶっ殺して本当に食ってしまうのです。中国人の兵隊は食料はいりません。インカでも釜茹での刑にするとその後は人間を食べてしまうのです。中国人は食人種です。それを見習った朝鮮人は犬も人間も食べてしまうのです。
ヌメヌメとした赤い唇は人間を食った唇です。今の中国の指導者、名前はあえて言いませんが、これも人間を食っているのに違いありません。ヌメッとした赤い唇をしています。あいつらは赤ん坊の肉を食うのです。赤ん坊を丸ごと一体蒸し焼きにして、宴席に出すのです。まるで鳥を食べるようにむしゃむしゃと食べるのです。
人間の赤ん坊を食べるごとに悪魔になっていくのです。だんだん思考方法も悪魔になり、「人間を殺せば殺すほどよい。殺してしまえ」ということになるのです。これが権力の構造です。権力者は自分の権力を維持するために相手を殺すのです。
(中略)
中国人の四川省の人口は310万分の1以下になったことがあります。どこにいってしまったのかというと、みんな食われてしまったのです。ひどい国です。
張 献忠(ちょう けんちゅう)は、明末の農民反乱軍の指導者で、黄色い顔色をして虎のような人相で黄虎(こうこ)と呼ばれた将軍です。彼の軍勢は連戦連勝です。四川地方に入ると重慶を破り、成都で大西皇帝を称し、大順に改元して成都を西京としまた。『明會要』巻五十によれば、1578年に人口310万2073人だった四川は、嘉慶『四川道志』巻十七によれば、1685年には人口1万8090人に減少したと言います。
張 献忠(ちょう けんちゅう)は、一日たりとも人を殺さなかった日はなかったのです。少なからず、子供が食われ、婦女の纏足(てんそく)が収集されたのです。
昔、中国では女性に纏足(てんそく)を履かせて足を小さくしたのです。その纏足を収集して、紐につるして「でんぽう」と名付けたのです。四川地方で殺害された人間は男子60万人、女子40万人の100万人にのぼりました。殺した人間は全て食べてしまったのです。ですから、戦争に行く場合、食料はいらないのです。中国人は人間を食べてしまうのです。
 『資治通鑑(しじつがん)』という歴史書があります。有名な歴史書ですが、この中で隋末唐初の朱粲(しゅ さん)という将軍がいて、指揮を鼓舞するためにしばしば部下に激励しました。「よいか、この世で一番うまいものは人肉じゃ。しかも、どこへ行ってもいたるところにあふれておる。飢えてひもじいなど気に病む必要はないぞ。どこにでもいくらでもあるぞ!」という事を言ったのです。
実際に戦いがあると婦女・子供をとらえて釜ゆでにして兵士達に分け与えたのです。食料がなくなると自分達の領民を連れてきてぶっ殺して食べたのです。『資治通鑑(しじつがん)』にはそのような事が書いてあるのです。
ある将軍はズカズカと歩いてきて、兵隊の目玉をつかんで口に入れてしまうのです。「美味そうだから食ったのだ。もう一つの目も食ってやろうか」という連中です。女を殺すことなど何とも思っていません。恐ろしい民族です。
-引用ここまで-
自分達がした事を日本に擦り付ける為、南京大虐殺などと銘を打ち捏造している背景が分かります。

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