南朝鮮人(在日含む)に都合の悪い事実・戦後の証言

-以下引用-
戦後の朝鮮人の証言。
金時鐘と四・三事件」
1948年4月3日から韓国・済州島で始まった反体制派虐殺事件。
南北分断の固定化につながる南朝鮮の単独選挙を阻止しようと、民衆が武装蜂起し、軍や警察の鎮圧部隊に数万人が殺された。
19歳の金時鐘は、武装隊を率いた南朝鮮労働党の一員だった。
襲撃先の郵便局では、同志が目の前でカービン銃で撃たれ、自らも追われる身となった。
翌年5月、日本行きの密航船に乗り込み、大阪・生野のコリアンタウンに行き着いた。
55年に出した第1詩集『地平線』で焦土と化した故郷を悼んだが、自らの関与には触れていない。
「軍事政権下の韓国に強制送還されれば、事件の残党ということでまず命はなかったやろうから」。 ←在日韓国人が韓国に帰国できない理由がこれです! 

この証言から分かるように、1948年から始まった「韓国大虐殺」がなかったら、日本には「迷惑な在日」はほとんどいないで済んだはずです。
ところが韓国の李承晩がやったのが「赤狩り」だったわけです。
李承晩の背後にいたのがアメリカ。当時、アメリカ国内でも「非米活動委員会」が作られ「赤狩り」を大規模に行われていました。
アメリカでは国外追放で済みましたが、韓国軍は共産主義者の疑いのある男性は殺し、女性は強姦しました。

韓国人学者キム・グィオックの証言。
国連軍と韓国軍は 1950年 10月~12月北朝鮮地域を占領した後、多数の民間女性たちを誘拐したと思われる。
これに対してキム・グィオック博士は、「特に左翼の協力者の疑いがある若い女性に対する強姦は、実際及び仮想敵に対する統制及び作戦の一つだった。 非公式的に1950年にも軍隊慰安婦や慰安台は存在したことと見えて、むしろ軍医風紀紊乱を憂慮して、1951年以追加の慰安所を公式創設したし、前線軍部隊でも非定期的に軍隊慰安婦を徴発したと思われる.」

そしてこのように民間人強姦と拉致によって一度、慰安婦生活を経験した女性たちのかなりの多くが、自暴自棄の心情で私娼に流れて行ってから再び 「軍隊慰安婦」という公娼に編入される悪循環を繰り返えしたように思われる。(オーマイニュース、原文は韓国語)
1947年 10月20日 公娼の規模は 2124人
1948年 10月末 私娼は5万名
1953年 7月27日 朝鮮戦争が終わった後、売春に従事する韓国人女性は30万人

http://www.ohmynews.com/NWS_Web/view/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0000067635&PAGE_CD

-引用ここまで-