仮病を盾(言い訳)にすることは

いい加減にして頂きたい!

remmikkiさんのブログから引用です。
http://blog.livedoor.jp/remmikki/archives/5577156.html
▽以下引用▽

美智子さん 体調不良はストレス原因・雅子さんも体調不良で誕生日文書再三延期
2019/12/13
美智子さんの体調が悪いそうだ。
血が混じる嘔吐もあり、ストレス原因。
なにが精神的ストレスかというと週刊誌報道も原因という。

週刊誌のバッシングで声を失うこともあった。
美智子さん、怖い女帝さんというイメージだが、バッシングには弱い。
"慈愛の美智子さま"と呼ばれていれば、上機嫌。

いろいろ思うようにことが運ばないからか?それは自分が蒔いた種。

雅子さんも体調不良で誕生日文書が遅れたというし。

あんなにバッシングされている紀子さまがストレスだの体調不良だの聞いたことない。

ダブルM子さん、根性の悪いことしているから自分が思うように運ばないとストレスになるのでは?

ANN 上皇后さまが体調不良 週刊誌報道も一因か(19/12/13)(0:39)

上皇后さまが体調不良 週刊誌報道も一因か
テレ朝ニュース 2019/12/13(金) 17:19配信
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20191213-00000042-ann-soci

上皇后さまに嘔吐(おうと)の症状があり、一部の週刊誌報道も原因とみられています。
宮内庁は、上皇后さまの体調について9月以降、血液が混じる嘔吐が数回あり、6月に数値の悪化が判明した心不全の診断の指標であるBNP値も依然、下がらないと発表しました。詳しい原因は不明ですが、症状が出た時期などから上皇ご夫妻についての事実と異なる週刊誌報道にストレスを感じられ、胃に負担が掛かった可能性もあると説明しました。投薬治療を行い、今月、嘔吐の症状は落ち着いたということです。

上皇后さま、血混じる嘔吐も ストレス原因か、経過観察 宮内庁
時事ドットコム 2019/12/13(金) 16:15配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191213-00000094-jij-soci

宮内庁は13日、上皇后さま(85)が9月以降、血が混じる嘔吐(おうと)を数回されていたと明らかにした。
乳がん手術との関連はなく、精神的ストレスが原因とみられるという。投薬治療の結果、最近は症状がなく、当面は経過観察を続ける。
同庁によると、春以降急減した体重も元に戻っておらず、心臓への負担の大きさを示す数値も高いままだという。来年1~3月の高輪皇族邸(東京都港区)への転居予定に変更はない。

上皇后さま、ご体調不良で経過観察
産経新聞 2019.12.13 16:29
https://www.sankei.com/life/news/191213/lif1912130019-n1.html

天皇陛下の即位関連儀式の写真を見ながら上皇さまと歓談される上皇后さま=10月16日、皇居・吹上仙洞御所の応接室(宮内庁提供)

宮内庁は13日、上皇后さまの体調について、体重減少や心不全の診断指標となる数値が高い傾向が続いていることを明らかにした。6月に受けられた定期健診の結果、心臓に負荷がかかった際などに上昇するBNP値が正常値を上回っていたが、その後も改善せず、経過観察が続いているという。
9月以降、胃からの出血が疑われる嘔吐(おうと)のご症状も数回あったという。現在は投薬治療を受けられ、症状は落ちついている。宮内庁は今後、上皇后さまの症状に応じて、検査を受けられるとしている。

こちらは雅子さん、彼女も体調不良で誕生日文書発表が延期になったという。
誕生日なんて毎年決まった日なのだから、それに向けて用意していればよいこと、なんで延期が体調不良によるのかわけわからない。

雅子さま 誕生日のハプニング…体調不良で文書発表が延期に
女性自身 2019/12/13(金) 11:02配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191213-00010007-jisin-soci

「想定外の事態に記者たちも驚いていましたが、まっさきに心配になったのは、雅子さまのご体調でした」

そう語るのは皇室担当記者。12月9日、雅子さまは56歳の誕生日を迎えられた。皇后となられてから初めての誕生日だったが、直前には、とあるハプニングがあったというのだ。

「お誕生日に合わせて、雅子さまはこの一年を振り返るお言葉を、文書で発表されることになっていました。もともと宮内記者会には、宮内庁を通じてお誕生日3日前となる6日に、事前に文書が渡される予定となっていたのです。しかし、当日夕方になって、侍従職から『文書の配布は8日に延期する』と伝えられました。8日というと、誕生日前日であり日曜日です。報道各社にとっては慌ただしいスケジュールになりました」(前出・記者)

突然の延期発表――。いったい、雅子さまに何があったのか。前出の皇室担当記者はこう語る。

侍従職は、雅子さまのご体調が優れなかったためと説明しました。詳細は明かされませんでしたが、やはり即位の礼に伴う一連の儀式の過酷な日程が、雅子さまにとって大きな負担になっていたのだと思われます」

最後の即位関連儀式が終了したのは、文書を記者会に配布することになっていた2日前の、12月4日のことだった。この日、雅子さま十二単をお召しになり、皇居の宮中三殿をご参拝。天皇陛下に続いて、即位に関する一連の儀式が滞りなく終わったことを奉告された。宮内庁関係者が、令和となってからの7カ月を振り返って語る。

「ようやく今年5月から続いた一連の儀式が終わったのです。とりわけ秋に入ってからは、たいへんな過密日程でした。11月も、21日から三重県、26日からは奈良県京都府へと、それぞれ2泊3日の日程で訪問されています。さらに即位礼正殿の儀や大嘗祭など、十二単で臨まれる儀式は繰り返し所作を練習され、外国からの賓客をもてなされる機会も数多くありました。皇后となられてから7カ月、雅子さまは全力でご公務や祭祀に臨まれてきたのです。雅子さまが誕生日を前に体調を崩されてしまわれたのも"完全燃焼"されたゆえだと思います」

誕生日のご感想に先んじて配布された、雅子さまの主治医による「医師団見解」にも、次のような記述があった。

皇后陛下には、依然としてご快復の途上にあり、ご体調には波がおありです。そのため、大きい行事の後や行事が続かれた場合には、お疲れがしばらく残られることもあります》

一方で精神科医香山リカさんは、お言葉が遅れた理由について、雅子さまのたいへん真面目な性格ゆえではないかと語る。

「今回の文書が、雅子さまにとって皇后となられて初めてのメッセージになります。しっかりとお考えになりながら、昨年までの皇太子妃時代とは違ったものにしなければ、というお気持ちも強かったのではないでしょうか。内容もさることながら、国民に思いが伝わる文章にしなければと、心を砕かれたはずです」

国民への感謝を、自分自身の言葉で届けたい――。そんな"自筆"のこだわりも、ご感想の完成までに時間を要した理由なのだろう。ご感想の中には、次のような国民への感謝の言葉が綴られていた。

《5月の皇居での一般参賀や、11月の国民祭典、祝賀御列の儀などの折に、多くの国民の皆様から、思いがけないほど本当に温かいお祝いを頂きましたことに、心から感謝しております》

《日本国内各地で出会った沢山の笑顔は、私にとりましてかけがえのない思い出として心に残り、これからの歩みを進めていく上で、大きな支えになってくれるものと思います》

11月10日に行われた即位パレード「祝賀御列の儀」では、約11万9千人が沿道に集まった。これは、平成の即位パレードを2千人ほど上回る数だった。

「パレードだけでなく、11月に訪問された三重県奈良県京都府の沿道や駅前も、歓迎する市民であふれかえりました。皇太子妃時代、適応障害のために公務を休まれることが多かった雅子さまは"自分は国民に受け入れられているのか"という不安を抱え続けていらっしゃいました。それゆえに、沿道からの励ましはとても大きな力になったことでしょう」(皇室ジャーナリスト)
「女性自身」2019年12月24日号 掲載

雅子さま 誕生日「ご感想文書」公表が再三延期になった理由
Newsポストセブン2019/12/12(木) 16:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191212-00000009-pseven-soci

「ご感想文書」が延期になった理由とは?(

12月9日、56才の誕生日を迎えられた皇后雅子さまは、一年を振り返ったご感想文書を発表された。雅子さまにとって皇后となられて初めてのご感想文書。その発表までの道筋は、一筋縄ではいかなかった。

もともと今回の文書は宮内庁が担当記者に向けて、誕生日3日前の12月6日17時半に、前もって配布する予定だった。各社が報道の準備をするためだ。

しかし、実際に渡されたのは誕生日前日8日の夕刻だった。それは、再三の「公表延期」が原因だったという。

「公表が予定されていた6日の午後、『今日は文書が出ない』と宮内庁から連絡がありました。続けて『8日の午前10時に出す』と伝えられ、2日後ろ倒しになりました。

ところが、その8日9時半頃、宮内庁からさらに『文書発表は夕方になる』と連絡があったんです。2度にわたっての延期で驚いた人もいたそうです」(皇室ジャーナリスト)
なぜ予定通りにいかなかったのか。それは、「雅子さまがご多忙の中で、誕生日前にもお疲れが残っていたから」(宮内庁関係者)だという。

雅子さまは12月3日、天皇陛下とともに東京・八王子市にある昭和天皇陵と大正天皇陵で、即位礼と大嘗祭が無事終了したことを奉告する「親謁の儀」に臨まれた。翌4日には皇居・宮中三殿で親謁の儀に臨まれ、さらに宮中三殿賢所で、「御神楽の儀」に臨まれた。

「御神楽の儀で即位に関する行事はすべて終了しました。極度の緊張感の中で細かい所作を求められる、一世に一度の重要儀式の連続で、雅子さまのお疲れはピークに達していたはずです。地方への行幸啓での行事では、お疲れの表情を浮かべられ、ふらつかれる場面もありました。

しかし、そうした行事の合間にも、文案について気にかけていたそうです。国民にしっかりと感謝の思いを伝えたいというお気持ちが強く、最後の最後までご自身で推敲を重ねられたのだと思います」(前出・宮内庁関係者)

◆儀式を終えられてホッとされた笑顔

文書と併せて公開されたご近影写真が撮られたのは、12月3日の夜のことだったという。

「例年にも増して、輝くような笑顔で写っていらっしゃいます。お疲れの色は濃かったと思いますが、即位関連の儀式をすべて終えられる目前で、ホッとされたという笑顔でもあったのでしょう」(前出・宮内庁関係者)

文書と併せて公表された雅子さまの主治医による「医師団見解」には、次のような記述があった。

《本年は、天皇陛下の御即位に伴う諸行事を中心に、特に強い責任感を持ってお務めに取り組んでこられましたが、これをもって過剰な期待を持たれることは、今後のご快復にとって、かえって逆効果となり得ることをご理解いただければと思います》

基本的な部分は2018年までの医師団見解と変わらない文書ではあったが、2019年は特に「強い責任感」という言葉が使われた。

「連日、テレビを通じて伝えられた雅子さまの笑顔からは、"もうすっかり快復されているのではないか"と思った人も多いようです。しかし、側近によれば、雅子さまのご体調は綱渡りの状態だったそうです。"よくぞ即位の儀式を乗り越えてくださいました"と感激した様子を見せた職員もいたそうで、まさに『責任感』が雅子さまを支えていたといってもいいでしょう」(前出・宮内庁関係者)

雅子さまが推敲を重ねられたご感想文書には、国民に寄り添われるお気持ちが隅々まで滲み出ていた。

「一年を振り返ってのご感想の中で、『貧困・虐待問題』、『プラスチックゴミなどの環境問題』そして『南海トラフ地震や首都直下地震が予測されていること』などについて触れられていました。

それらは国民にとって、まさに喫緊の身近な問題です。しかも、決して大上段に構えた上から目線のものではなく、特に弱い立場の人に寄り添うものでした。

さらにいえば、虐待問題など今まさに国民が直面している問題に具体的に向き合われて書かれていることから、皇室の中での出来事だけでなく、新聞やテレビなどを熱心にご覧になり、社会問題に強いご関心をお持ちなのだと感じました」(別の皇室ジャーナリスト)

※女性セブン2020年1月1日号
△以上引用△
>>吹上仙洞御所

ミチコさんの、"思い出のある場所で暮らしたい"と言う身勝手から、旧・東宮御所に居座る事になり、その結果'吹上仙洞御所'と改名。
歴史ある『東宮御所』と言う名称が、消滅してしまいました。

>>《5月の皇居での一般参賀や、11月の国民祭典、祝賀御列の儀などの折に、多くの国民の皆様から、思いがけないほど本当に温かいお祝いを頂きましたことに、心から感謝しております》

《日本国内各地で出会った沢山の笑顔は、私にとりましてかけがえのない思い出として心に残り、これからの歩みを進めていく上で、大きな支えになってくれるものと思います》

"これからのサボりを進めていく上で、大きな支えになってくれるものと思います"と聞こえます。

>>「パレードだけでなく、11月に訪問された三重県奈良県京都府の沿道や駅前も、歓迎する市民であふれかえりました。皇太子妃時代、適応障害のために公務を休まれることが多かった雅子さまは"自分は国民に受け入れられているのか"という不安を抱え続けていらっしゃいました。それゆえに、沿道からの励ましはとても大きな力になったことでしょう」(皇室ジャーナリスト)

"国民に受け入れられている"事が確認出来たので、これからは大手を振って、おサボりが出来ると言う事でしょうか。

精神科医にもかかわらず、中指立てる香山リカサン。
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